「善悪」に拘る1種2種が、会話において「勝負け」に拘る7種8種の人のように見えることがある


  最近感じたことを書きます。

 

「勝負け」に拘ると言われる7種それは、私の2項目にが入っているので、良く判ります。

 

 8の場合、以前ご紹介したように特に負けたくないから、また注目されたいから、話を大げさに話すところがあるのですが、

 

 それは、「すごいね」と言ってもらいたいからなのです。

 

 知り合いとの会話の中で、このような感覚を受ける特徴を相手に感じることがあるのですが、しかしながらその人は、7種8種を持っていないことがよくあり、不思議に思っていました。

 

 このに似た特徴は、実は1種2からきていたんだと最近強く感じました。

 

 1種2種は、「善悪」に拘ります。

 

 なので、私も1項目がなので良く判るのですが、話の内容について善悪や正しいのかどうかについてかなり拘りながら(評価しながら)会話をしているのです。

 

 それで、相手の話の内容に疑問があったり、違うのではないかと思うと、会話で相手の話に対する評価を述べたり、違う意見を述べることがよくあります。

 

 このような対応は、相手に対抗して勝ち負けに拘っているようにも見えるんじゃないかと思ったのです。

 

 つまりの人が、相手の話の真偽や善悪を判断して応対しているのだけれど、傍からはの人のように、相手の話に負けないよう、相手の話より注目されるよう対応しているように見えるということです。

 

 だから、種2種の人なのに、勝ち負けに拘ったような会話をしていると感じたのだと思います。

 

 私は、その7種8種1種の両方のグループの特徴をもっているので、今まで気づき難くかったか、またはどちらの特徴から来ているのかが分かり難かったのだと思います。

 

 でもこれは、多くの方に納得していただけると思っています。

 

 みなさんは、どう思いますか?

 

宜しかったら、コメントお願い致します。