五行類型論(体癖)の判定について記事を書いてきましたが、それに関係する要素で重要な、男性と女性の差異について書きたいと思います。
一般に男性と女性の差で、最も大きな要素は、「能動性と受動性の違い」だと思います。
「能動」とは自分から他に積極的に働きかけるさま、
「受動」とは物事への対処の仕方が受け身であるさまで、
男性は女性より相対的に能動的、女性は男性より相対的に受動的です。
例えば野口晴哉氏の著書「体癖第二巻、全生社」に、
『体量配分は殆ど同じ傾向を示すのに、差異がある。だから三種の清濁合わせ呑むということでも、男の場合には親分肌になり、良いも悪いも何でも許してしまうけれど、女の場合には、良いも悪いもみな抱え込んで、自分勝手な状態になってくる』
とあります。
これは、三種の『清濁合わせ呑む』という特徴が、「男性」はその能動性から、他人に対して良いも悪いも何でも許し、多くの人を親分的に取りまとめるよう自ら行動するのに対し、
「女性」はその受動性から、他人に対して良いも悪いも何でも許し、多くの人を受け入れるだけとなり、収拾がつかなくなって、却って自分勝手な関係になっていくことを意味していると、
私は解釈しています。
つまり同じ体癖の特徴も、男と女では、異なった行為や状況になることがあるということだと思います。
また野口晴哉の著書(体癖第一巻、全生社)の8種体癖の欄の「相手の競争心を引き出す八種体癖」に、
『(前略)
だから捻じれ体癖というのは、そういう誇張したり、気張ったり、一生懸命努力したり、対立したりするという特徴があるのですが、何ら対抗心のないような人にまで対立する心を起させるという働きを持っているのです。
(中略)
捻れ的な勝とう負けまいが、負けまい、負けまいとする傾向にいよいよ強くなって、勝つという当てがなくとも負けまいとして動作してゆく。
「女の八種との違い」
そういう八種的な特徴は男の場合であって、女の八種にも多少そういう傾向があるけれども、女はその誇張はそれ程、邪魔にならないのです。白粉が濃くなるとか、声が大きくなるとかいう位です。
(中略)
八種の女の人の特徴は、そういう誇張が声になり、お化粧になりして言葉や動作にあまりつながらないということです。だから「やりたくないわ」と言って何もやらない。八種は、男なら人の倍働くのに、女は働かない。
(以下略)』
引用にあるような8種の『誇張したり、気張ったり、一生懸命努力したり』や『勝つという当てがなくとも負けまいとして動作してゆく』という特徴は男性の場合で、女性では、『多少そういう傾向があるけれども、女はその誇張はそれ程、邪魔にならないのです。白粉が濃くなるとか、声が大きくなるとかいう位です。』
というように男女の差も、どちらも負けず嫌いで自分に注目を集めたいのでしょうが、そのやり方がやはり男性は能動的な方法で、女性は受身的な方法で表れているように感じました。
ここでも男性の能動性と女性の受動性の違いから、その特徴が表れたと感じます。
さらに野口晴哉氏の著書:体癖第二巻、全生社」で「開型との複合体癖」の欄の男の場合と女の場合に、
『(前略)
開型の三種でも七種でも、男と女は違う。女の場合が強いのです。寛大で強かったら十種でないかと観てよいが、男の場合には別の見方が出てくる。
(中略)
男の開型三種や七種と、女のそれとでは明らかに裏と表ほどの違いがある。女の場合には強いし、男の場合には弱い。これは閉型九種の場合も同じです』とあります。
(なお、開型3種とは10種ー3種のことで、閉型9種とは、閉型は9種のことですから、つまり9種のことです)
10種の特徴として、引用にあるように『寛大で強い』というのがありますが、上述のように男の場合は別の見方が必要で、男性は弱くなることがあるそうです。
また同書に、
『(前略)
武術をやっている人の中には開型七種や開型三種の人がかなり多い。そして共通して奥さんの方が強いのです。
(以下略)』とあります。
武術をやっているので、実際に強そうに見えると思いますが、奥さんの方が強く、尻にひかれているようでとても面白い特徴だと思いました。
これは、家庭における夫婦では、夜などの非活動時にリラックスした状態て接することが多いので、お互いの2項目が表れ易くなり、特に相対的に受動性の強い女性の方がその傾向がより強いと思われます。
その為、2項目(10種と異なる体癖)が顕著になった女性が、寛大な1項目が10種の男性をやり込めるのではないかと私は考察しています。
このように、男性の能動性と女性の受動性を考慮すると、同じ体癖にも拘わらず違った状況や要素がでてくるのが、理解しやすいのではないでしょうか!
宜しかったら、コメントお願い致します。